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川喜田と別れてから、日笠はまだ一人でベンチに座っていた。
時おり自動販売機の作動音が響いては止む中で、じっと携帯の画面を見つめていた。
先ほど追加されたばかりの、川喜田のアイコンだ。
これから手術を控えているのは分かっている。でも、自分の話をしてくれた川喜田ともっと話をしたくなって、思わず尋ねてしまった。
朝に目が合った時から、今日はいつもと違うという予感があった。
本当は今すぐにでもメッセージを送りたいが、別れて数分で来ても困るだろう。
でも話したいことはいくらでもある。なにしろ、七年もその姿を見てきたのだ。向こうはそんな風に思っていないだろうけど。
いくつもの話題が浮かぶが、まず聞いてみたいのは『川喜田さんはどうして将棋を始めたのか』。
家が医者だったことには驚いた。でも不思議とその雰囲気に合っているような気がした。それならなおさら、どうやって将棋に出会ったのかが気になる。
川喜田のアイコンはどうやら詰め将棋の問題のようで、小さな円の中に将棋盤と駒が並んでいる。駒の文字が読み取れないので画像をタップしてみると、少し拡大された。思わず解読しながら問題を解いてみるが、文字が鮮明でないので答えは怪しかった。
そこで日笠は、何やってるんだろうと我に返った。
でも、わざわざアイコンを詰め将棋にしているのだから、解いたって送ったらちょっと嬉しいかもしれない。いや、逆に引かれるかもしれない。などと考えているとアプリの通知音が鳴った。
ドキッと心臓が鳴って、思わず体を震わせた。だが表示されたアイコンは馴染みのあるものだった。奨励会でいつもつるんでいる眼鏡の友人からだった。
<晴
今どこ?
ちゃんと帰ったか?
体調大丈夫?
おかんかよ。
日笠が母親をそう呼んでいるわけではないが、思わず心の中で突っ込みを入れる。
三段リーグでの第十六局、川喜田との対局が終わった後、友人達は手術の決断を応援してくれた。今まで心配していたし、気が気じゃなかった、見てられなかったとぶちまけられた。
日笠はそこで初めて、友人や家族、周囲の人達に心配されている事を身に沁みて感じた。
友人は今日も来ていたが、二人とも用事があって終了後すぐに帰らなくてはならない。眼鏡の友人は特に心配していたが、無理はしないから大丈夫、と送り出した。
>心配しすぎ
これから帰るよ
素早く入力してメッセージを返す。ものの数秒で、今からかよ、気をつけろよと返信が来る。その内に、もう一人の友人からも短いメッセージが来る。切りがなくなりそうなので返信は止めて既読だけをつけた。
気心は知れているので三人の中ではそれで充分だった。そういえば、この友人達とつるむようになってからも、七年経っている。
帰ったら無事に着いたと連絡しようと日笠は考えた。心配してるみたいだから。
画面を戻してその詰め将棋を眺めながら、川喜田さんにも送ってみようか、と思った。
△
川喜田が帰宅すると既に夕食の準備ができていたので、そのまま食事を摂った。
夕食を済ませてから、電車に乗った時にマナーモードに設定したままなのを思い出して携帯電話を見た。
画面のアイコンに思わず視線を止める。
そこには、日笠からのメッセージの通知が表示されていた。