SHOGIFT

医者になった川喜田が、同僚看護師に義理チョコをもらう話。

初出:2019/02/14(2140文字)
あとがき

「川喜田先生、いつもお世話になってます」
 これどうぞ、と差し出された箱に、川喜田は少し驚いて目をやった。
 黒い長方形の箱に焦げ茶色のリボンがかけられ、その表面には見慣れた五角形が金色で箔押しされていた。
「バレンタインデーで、これは科のみんなからです」
 川喜田の内心を察知したように、同僚の看護師は説明した。
 机上のカレンダーは2月14日を示していて、川喜田は言われて初めて今日の日の行事を思い出した。
「ありがとうございます。この模様は、将棋の駒ですよね?」
 会釈をして箱を受けとると、川喜田は先ほどから気になっていた事を尋ねた。
「さすが川喜田先生、すぐ気付かれるんですね」
「将棋の駒の形をしたチョコなんです。この子がネットで見つけて」
「本物そっくりだって、日笠さんが紹介してたんですよ」
 よく見知った人物の名前が突然出て、川喜田は少し驚いた。
 もっとも、棋士の日笠晴と言えば、今や将棋にあまり馴染みのない一般人にも名の知れた存在だ。『奇跡の実話』と銘打たれた映画は好評で、日笠の名はより広く知られるようになっていた。
 川喜田は日笠の将棋を見続けていたが、関連してこんな仕事もしていたのは知らなかった。
「先生は将棋がお好きだから、喜んで頂けるかなと思ったんです」
「先生が子供たちに将棋を教えてくれて、この病棟すごくいい雰囲気になったんですよ」
「大変な治療やお薬も、前よりみんな頑張れるようになって。リヒト先生と将棋を指すんだって、みんな楽しみにしてるんです」
「だから、これはみんなからの感謝の気持ちです」
 看護師の二人は川喜田に笑顔を見せていた。
 正式に医者になってから一年あまり、経験は一番浅い自分に、まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思わなかった。
「いえ、こちらこそありがとうございます。一日でも早く、一人前になれるように頑張ります。これからもよろしくご指導下さい」
 そう言って深く頭を下げると、看護師たちは先生らしいと顔を見合わせ、微笑んだ。

 夜、帰宅した川喜田は鞄の中身を取り出す。夕食などを全て済ませてから、リボンを解き、その箱を開けた。
 そこには、将棋の駒を模したチョコレートが、プラスチックのトレイに並んでいた。将棋の駒、八種類が一つずつ並んでいる。
 中にはこのチョコレートについての説明文も入っていた。昼間の話を思い出し、説明に載っていたメーカーのサイトに、携帯でアクセスしてみる。
 そこに、メーカーの開発者と並んで写っている、日笠の写真が載っていた。
 そのページには日笠とメーカー社員とのコメントも掲載されている。
 親しみを覚えて、一通り目を通してから、川喜田は「歩」のチョコレートをトレイから取り出してみた。
 親指と人差し指でそっと掴むと、近づけて見た。記事に載っている通り、本物の駒を忠実に再現している。
 川喜田は思わず息をついて、確かにこれは日笠も感心するだろうなと思った。
 表面には「歩兵」の文字がくぼみで刻まれていて、裏面にも本物の駒と同じく「と」の文字が入っていた。
 その精巧さをじっと観察していると、チョコレートが指の間で溶けてきそうだったので、川喜田はその歩を口に入れた。その途端、口の中には甘味が広がり、表面はあっという間に溶けてしまった。その甘さを噛み締めながら、
『食べるの勿体なくなっちゃいますね』
 と話していた記事の日笠を思い出す。同感だと思いながら、その甘味と、わずかな苦味を一緒に飲み込んだ。
 良質な原料を使用しているとの説明通り、それはとても美味しかった。
 食品として作られているのだからと、川喜田はもう一つ選んでチョコレートを取り出した。次の駒は「金」だった。この駒は裏に文字が入っていない。それも勿論、忠実に再現されている。
 川喜田は二つ目を口に入れると、それも柔らかく口の中で溶けていった。説明によれば、駒は一つ一つ味わいの違うチョコレートを使用しているようだ。先程のものより甘味は少なく、すっきりとした味だった。
 メーカーの開発者も将棋が本当に好きなのだろう。自分と同じように。
 そして、日笠と同じように。
 プロと言ってもその部分は時が過ぎても変わらない。将棋が好きだから、今もこうして縁が続いている。
 最近は日笠と直接会えてはいない。映画化の関係で忙しそうだったのと、自分も医者になったばかりで多忙な日々を送っていたからだ。
 けれど、今の自分を振り返る時、その出発点にはあの三段リーグでの対局が、そして日笠の存在がある。
 そして川喜田の願いは、十年前も今も、本質は変わっていない。
『身体に気をつけて欲しい』
 いつも、日笠の活躍を目にする度に川喜田はそう願っていた。
 それは日笠が、棋士としてこの先もっと上に行ったとしても、変わらない願いだった。

 思いを馳せていると、二つ目のチョコレートは口の中にわずかな酸味を残して溶けてしまった。
 夜も遅い。今日はこのくらいにしておこうと思って、川喜田はチョコレートの入った箱の蓋を閉めた。
 それから思い立って、携帯で日笠の対局予定を調べ始めた。