おまけのその後
ピークを過ぎた昼下がりの食堂に、人はまばらだった。
日笠は聴診器を首にかけたままの川喜田に話を続ける。
「特に異常はなかったんですけど、待ってる間にいい手が思い浮かんじゃって」
テーブルの上には自分の携帯電話と、自販機で買った紙パックのいちごオレが置いてあった。
「スマホでメモって見返してみたら、やっぱそうでもないかなって……」
一人で話し続ける自分にハッとなって、日笠は川喜田の顔を見返した。
「すみません、俺ばっか話してて」
「大丈夫だよ。話しかけたらまずかった……かな?」
「いえ! もうメモしたんで、大丈夫です。川喜田さんは? 休憩ですか」
「ああ。僕もメモしておきたいことがあったんだ。ここ、座ってもいいか?」
「どうぞどうぞ」
川喜田は向かいの席に聴診器とバインダーを置くと、一旦後方のサーバーで飲み物を入れて戻ってきた。
その湯飲みを傍らに置く。奨励会でも見た覚えのある光景だと日笠は思った。三段リーグでの対局でもそうだった。川喜田はペットボトルを好まないのかどうかは分からないが、用意する飲み物は湯飲みに入っていた。しかし重要な場面で席を立っては困るので、口を湿らせる程度か、ほんの一口を飲むくらいだった。
日笠は傍らに置いていたいちごオレの紙パックが気恥ずかしくなって、それを隠すように自分の方へ寄せた。食堂の自販機で買ったものだが、パステルピンクのパッケージはこの場に不釣り合いに思えた。
川喜田は着席して医学書らしき本を開き、それを見ながらバインダーの紙になにやら図を書き始めた。
一通りの考えを出し尽くして、日笠はつい川喜田の手元に目をやっていた。図を書き終えると画数の多い漢字やアルファベットで説明を書き加えている。英語では見ない符号が付いていて、別の言語であろうことがわかった。
内容は素人には解らないが、こうして地道な努力を続ける姿は、奨励会の頃と全く変わっていない。日笠は昔、川喜田の隣で将棋の勉強に取り組んだことを思い出した。あの時と同じ、その真剣な眼差しに、思わず見入ってしまっていた。
「どうかした?」
不意に声をかけられ、日笠はハッと我に返った。川喜田が顔を上げてこちらを見ていた。
「いえ、何でも」
日笠はスマートフォンの画面に視線を落とした。平静を装ったが、手のひらに汗がにじんできたのが分かった。なんとなく画面をスライドしながら川喜田の様子を盗み見た。彼は既に勉強に戻っていた。傍らの湯飲みに手を伸ばして一口飲んだ。それに倣うように、日笠も残っていたいちごオレを飲み干した。
それから姿勢を正して椅子に座り直すと、もう一度思い付いた手の検討を始めた。
川喜田の休憩時間が終わるまで、彼らはしばし、お互いの課題に向き合っていた。