恩について

雑然としているんだけど、一言でいうとこう。
10年後以降で、川喜田と日笠が会ってない状態も萌え、だけどその状況で二次創作は書けるのか? ということを少し前から断続的に考えていた。
たぶん何を言いたいのかわからない文章だと思うけど、いきさつから書いてみる。

きっかけはだいぶ前に読んだ新聞小説の一節。
主人公側がある人の関係者を恩人のような人かと尋ねる。彼はその通りと認めるが、初対面のあなたに恩人などと言われるのはやや抵抗があると告げる。
これを読んだ時、日笠もそう思いそうだし、なんなら相手にチクッと言いそうな気がした。
たいして知らない人に川喜田のことを、恩人なんて軽々しく言ってほしくないだろうな~、って。萌える(笑)

そうは言っても第三者から見ると、日笠にとって川喜田は恩人に違いない。
それで別の小説に、人は恩があってもそれを周りに言わない、という一節があった。
確かにこれはその通りで、10年後の日笠は周りに川喜田のことを言ってないだろうな~と思う。
でもそうすると、10年後の日笠はそもそも川喜田に会いたいと思うのか? という疑問が出てきてしまった。

そこでもう一つとどめのように、テレビで将棋棋士のお悩みを聞く番組をやっていて、
「希望を持ち続けるには、手に入れない事です」(スピノザ哲学の要約)
という文言が出てきて、確かにそうだよな~日笠はこう思ってるかもな~ってなってしまった。
日笠の中では、きっと川喜田さんは退会した後も頑張って(何かを成し遂げて)いるんだろう、きっと川喜田さんは見ていてくれるだろう、というような気持ちがあって、それを…希望をいつまでも信じていたいから、あえて会いたい・会おうと思わないのではないかと。

妄想の中で会いたいと思う場合は…
日笠がプロになって、和服を着られるくらいに活躍して、自分の半生も映画化してこれまでの歩みを振り返った時に、今の自分がいるのは川喜田さんのおかげだから、直接会って一言お礼を言いたい、というような動機で会いに行かせていた。行かせるって(笑)
突き詰めてしまうと、自分の願望でしかない。

自分の中では、会っていなくてもお互いの心の中にお互いがいるんだーと思っているけど、それは二次創作として成立するのか?
そんな話を思いついて書けたら一つの理想で究極な気がする。
あーそんな話を書いてみたい~というかそんな二人の話を読んでみたい~ってぐるぐる考えていました。
と言っても今は浮かばないので、いつか思いついたらいいな、とぼんやり思っておきます。あまり力むと逆に出てこないし、無欲の欲でいきます。(笑)

以下は余談。
ただ、上に挙げた小説では恩人関係に対して後ろ暗い理由があって公言できない状況だった。
日笠は別に後ろ暗いってわけでもないので会いたいと思って行動するのはありだと思う。
コンタクトを取るのは、飯田先生にお願いすればなんとかなりそう。

WEB拍手ありがとうございます!
3/5にメールフォームからメッセージくださった方、ありがとうございました!
二次創作の感想も嬉しかったです!