明かりがつくまで
■川喜田と日笠が将棋を指している時に、もし停電したらどうなるかという話。
外では激しい雨が降っている。
川喜田は日笠と将棋を指していた。誘われて日笠の自宅で盤を挟み、向き合っている。
先程から、途切れることなく雷が鳴っていた。いわゆるゲリラ雷雨だった。今日はこの一局が最後という約束だったが、この雨ではしばらく帰れないだろう。川喜田は頭の片隅でそう考えていた。
日笠はじっと盤を見つめながら、次の手を思案している。何度か稲妻が光った。間髪を入れずに、ひときわ大きく雷鳴が轟く。次の瞬間。
フッと明かりが消えた。
停電だ。今の雷がどこかの電線に落ちたのかもしれない。
「日笠、大丈夫か」
川喜田は暗闇の中で声を上げた。彼と何度か指すうちに、心中で呼んでいるのと同じように、いつしか呼び捨てになっていた。
声をかけながら、川喜田は近くに置いてあったはずの鞄を探した。その持ち手に触れると、手探りで中からスマートフォンを取り出し、スイッチを押した。
ライト機能を使うと、ようやく日笠の姿が見えた。
「川喜田さん、そのまま照らしててくれます?」
彼は、明かりが消える前と寸分違わぬ姿で、盤の前に座っていた。盤面に目を落とし、こちらを見ずに静かな声で頼んだ。
川喜田は絶句した。言われるがままに、携帯のライトで盤を照らした。そうしている間にも何度か稲妻が光り、雷鳴はまだ治まりそうになかった。
これは川喜田の推測だが、日笠は明かりが消えても、ずっとこの局面を見ていた。たとえ視覚で捉えられなくなっても、頭の中で次の一手を考え続けていたのだろう。
なんて集中力だ。
川喜田は舌を巻くと、わずかな明かりの中で、日笠の次の行動を待っていた。将棋盤の周りだけが暗闇の中に浮かんでいた。川喜田はなぜか、江戸時代の人々が、深夜までろうそくの明かりで将棋に興じている姿を思い浮かべていた。きっとその昔も、何もかもを忘れて将棋に熱狂していた人々がいたに違いない。
しばらくして、日笠は駒を動かした。あくまでも盤上が見えるように携帯をかざしているので、彼の表情は薄暗くてよく分からない。しかしその手つきは堂々としていた。
闇の中で、叩きつけるような雨の音が響き、雷鳴がくすぶるように低い音を立てている。
しかしながら彼らは、ただ将棋を指し続けていた。
日笠が無言で手を伸ばし、川喜田の携帯を受け取った。彼らは明かりがつくまで、交互に盤面を照らしていた。