光に続く道

入院中の日笠が周りで支えてくれる人達のこと、そして川喜田のことを考える話。(2750文字)

 散歩から戻ってくると、ロビーに置いてあるクリスマスツリーが目に留まった。
 日笠は点滴のスタンドを引きずるようにして、ツリーの近くに立った。それは日笠の身長よりだいぶ高く、大きなツリーだった。金銀や赤のオーナメントが下げられ、全体に巻かれた青い電飾が点滅している。
 もうクリスマスツリーか、と思った。中庭は紅葉の真っ最中で、時折落ち葉が宙を舞っている。地面は赤や黄色の落ち葉で彩られていた。クリスマス当日はまだ、一ヶ月以上先だった。
 それでも青い電飾のせいなのか、その落ち着いた色は清潔さの保たれた病院内に、どこか馴染んでいた。

 光の点滅を見ていると、何年か前のクリスマスに、奨励会の友人達と遊びに行ったことを思い出す。このまま遊んでいていいのかと、少し後ろめたい気持ちがあった。ごまかすように顔では必要以上に笑いながら、イルミネーションが飾られた街を歩いていた。
 日笠は、あいつら元気かな、と思った。友人達とはしばらく会っていない。二人とも、研究会で忙しいそうだ。奨励会員として、そっちに集中するのは当然だよな、と日笠も思っていた。
 手術が成功した後、友人達は見舞いに来てくれた。日笠はベッドに横になったまま上半身を起こし、点滴も挿したままだった。でも、それ以外は普段と全く変わらないやりとりをした。二人とも新たに研究会へ入ったそうだ。あの三段リーグの後、何人か退会者が出て、欠員があったからだという。
 そこで川喜田の話も聞いた。

「川喜田さん医者になるんだって」
「え、医者?」
「なんか家が医者で、大学に行ってないからこれから医大受験するらしい」
「それマジ!?」
「俺も又聞きだから、はっきりは分からないんだけどね」
 でもすごいよな、と三人で言い合った。日笠はふと、疑問に思ったことを尋ねた。
「って、何で川喜田さんの話なんだよ」
 すると、眼鏡の友人はニヤニヤと笑っている。
「えー? 聞きたいんじゃないかなと思って」
 その表情のまま、もう一人と目を見合わせた。その友人も、笑いながらうなずいている。
「は!? 別に、気にしてないし。勝負だったんだから」
 否定したが、友人達は取り合わずに受け流す。気に入らなくて、思わず畳みかけた。
「川喜田さん普段から頑張ってたから、あの時はちょっと思うところがあっただけ。あんなに勉強してる人、なかなかいないだろ」
「確かに」
 一般論で話を濁すと、それは二人も同じ気持ちのようで、うなずいていた。川喜田さん、医者になるためにまた勉強してるんだろうな、と話をした。

 その時のことを思い出しながら、日笠はクリスマスツリーのてっぺんに目をやる。銀の星飾りが明かりを反射して光っていた。
 川喜田さんは、元気でやってるかな。
 思いを馳せた。
 奨励会を退会するとは、棋士になる夢に終止符が打たれたということだ。これまで積み重ねてきた努力が報われなかったという挫折を、感じることもあるだろう。
 小学生の頃から奨励会にいた日笠は、夢破れて奨励会を去った者を、それこそ何人も見てきた。
 でも川喜田さんなら、大丈夫。
 一方で日笠は、そう確信していた。脳裏には、あの対局の後の、川喜田の表情が焼き付いている。
――ああ……また指そう。
 そう言って川喜田は、わずかだが確かに、微笑んでいた。
 三段リーグの狭い会場の中で、思わず大声を出してしまったことに恥ずかしさがこみ上げていたが、その表情にハッとして、真顔になった。
 夢が潰えた、その時に最後に見せた表情が、頭から離れない。
 晩秋の今でも、あの日のことを思い出せば心は夏のただ中にいる。
 これからもずっと、そうなるのだろうと日笠は思っていた。

 クリスマスまでには、退院できるかな。
 主治医の話では、今年中に退院できるかは五分五分だという。今日の検査の数値次第だと話していた。
 医者や看護師をはじめ、この病院で働いている様々な職種の人達が、支えてくれていることをひしひしと感じていた。
 そしてまた、支えてくれる家族のことを思った。家族は数日と置かずに顔を出してくれる。日笠が身につけているパジャマは、母親が洗って替えを持ってきてくれていた。病気になっても、家族は今までと同じように、棋士になる夢を応援し続けてくれている。子供の頃からずっと。
 どこか照れくさくて、伝えられていないが、日笠はその事を本当に有難いと思っていた。次に親が来た時は、感謝の気持ちを口に出してみようと思っていた。そして、絶対に棋士になるという決意を伝えたい。だから、もうしばらく迷惑をかけますが、よろしくお願いします、と。
 その場面を想像すると、やはり、かなり照れくさくなってしまう。親もびっくりするだろうし、らしくないと我ながら思う。
 でも伝えたかった。
 そして、いつもと同じように家族の話をしたいと思った。
 そんなことを考えていると、早く退院したい気持ちが、いっそう強くなった。将棋の勉強はあるけれど、クリスマスはゆっくりと家で、家族みんなで過ごしたい。その光景を想像すると、心が温かくなった。
 そうはいっても、身体のことは思うようにいかないかもしれない。もし病院で年を越すことになるなら、正月の将棋番組を病院で見るのも悪くはないと、一方では開き直る気持ちもあった。
 日笠は既に、この先の道を見据えていた。退院したら、通院治療を続けながら、奨励会への復帰を目指す。もし年齢制限の二十六歳までに奨励会へ戻れなかった場合は、アマチュアの棋戦で勝ち上がり、プロ編入試験の受験資格を得る。
 入院している今の立場からすれば、目指す場所はあまりにも遠い。
 でも日笠はまず目の前の目標から、一つ一つクリアしていこうと決めていた。
 退院後のリハビリも兼ねて、天気が悪くない日には毎日散歩に出ていた。病室のベッドテーブルの上には、将棋盤が広げてある。将棋の勉強の合間に散歩に出る。意識したわけではないが、いつの間にかルーティンになっていた。このサイクルの繰り返しが、いい息抜きにもなっていた。
 いずれにしても、退院して編入試験を受けてでも絶対に、プロになる。
 そしていつか、将棋の世界にいない川喜田さんにも届くくらい、活躍したい。
 部屋に戻ったら勉強の続きをしよう。
 日笠は盤上の駒の並びを思い返す。ツリーの星に反射する光を見やると、点滴スタンドを引いて病棟へと歩いていった。

 *

 川喜田は模試を終えて家に帰ってきた。
 だいぶ日が短くなって、もう辺りは薄暗くなっている。
 病院側の入口に飾ってあるクリスマスツリーの電飾が、ちかちかと点滅を繰り返す。この時季になると毎年この場所に置かれているので、見慣れた光景だった。
 その光を横目に、川喜田は裏口へ回ると、自宅部分へと足を進めた。

あとがき