川喜田さんの背中に
■奨励会時代の日笠と川喜田。秋のある日の短文。日笠一人称。
将棋会館の入口で、その背中が見えた。
川喜田さん、背中に葉っぱついてる。
将棋会館のすぐ近くには神社がある。そこを通った時にちょうど葉が落ちてきたのかもしれない。
赤く染まった落ち葉のせいか、その背中がいつもより目に留まる気がする。
その距離数メートル。名前を呼んだら、振り向くかな。
『川喜田さん、背中に葉っぱついてますよ』
そう声をかけようとした瞬間、背中の葉がひらりと床に舞い落ちた。
俺は出しかけた言葉を失って、思わずその場に立ち止まった。その背中は足を止めることなく階段の方に歩いていった。
声かける口実になると思ったのに。
去っていく背中を見つめながら、床に落ちたその葉を拾い上げた。近くでよく見ると、赤色はグラデーションになって染まっている。
川喜田さんの背中についてた葉っぱ……
まじまじと見つめていたのに気づいて、ハッと我に返った。
いやいや! 捨てるし!
将棋会館はいつもきれいにしておかないと。
小学生の頃から聞いていた決まり事を頭の中で復唱すると、俺はごみ箱に向かった。
手の中で落ち葉の茎をつまんで、軽く回すようにもてあそびながら。