まんじゅうホワイトデー

チョコのお返しに、式部と紅葉がまんじゅう屋に行く話です。

【!注意!】
前の話の続きで同じ設定
・式部が紅葉自身を意識している(片思い)
・原作に描いてあること以外はすべて捏造
・回想で春宮も少し出ますが、孫との関係や呼び方などは捏造です
それでも大丈夫な方はどうぞ。

将棋や奨励会については、ど素人なので変なことを書いているかもしれません。
温かい目で見ていただけると助かります。

前回よりも恋愛色強めかもです。
式部さんの好きな食べ物がまんじゅうなの萌えです!
(4029文字)

「どうするかなー……」
 売り場の品々を見て、紅葉は頭を抱えた。
 先月のバレンタインに式部にチョコレートを貰ったので、お返しの品を探しに来ていた。ホワイトデー向けのディスプレイにはたくさんの品が並んでいた。
 クッキー、マシュマロ、マカロンにキャンディ、それにバレンタインから継続しているチョコレートもあった。他にハンカチなどの小物も並んでいる。
 そもそも式部さん、何が好きなんだろう、と紅葉は思った。甘いものを食べている所を見たことがない。いつも水ばっか飲んでるし。
 将棋会館の自販機で「あろはす」を買って飲んでいる式部を思い返した。甘いものはあまり好きじゃないのかな、と紅葉は考えた。でも、ここに並んでいるのは甘いものばかりだった。かと言って、ハンカチを贈るのもどうか。
 バレンタインの時に式部に掛けられた言葉を紅葉は思い出す。
『期待してます、三倍返し』
 小物だけでは到底三倍になるとは思えず、紅葉はぐるぐると売り場を見て回った末に、何も買わずに店を出た。

 帰り道、将棋の研究をしながら紅葉は再度考えた。もし、あそこに並んでいた甘いものを買って式部さんに渡したとしたら。
 式部はいつもの、感情をあまり表に出さない顔でクールにプレゼントを受け取る。
 そして長い沈黙の後に静かな声でこう言うだろう。
「…………甘いの、苦手で」
 何とも言えない残念な空気がその場に漂うのは目に見えている。それがらしいのかもしれない。でも、バレンタインにちゃんとチョコを貰えたのは初めてだったので、できれば式部さんにも喜んでほしい、だから悩んでるんだと紅葉は思った。
 やっぱちゃんと聞いてみるしかないか。
 直接聞かなくても、相手の好みは自分で読み取るもんだ。兄が生きていたらそう言ったかもしれないが、何も聞かずに好みを外すくらいなら、ちゃんと相手が好きな物を贈りたいと紅葉は思った。

 ◆

 自室で棋譜を並べていると、式部の携帯電話が鳴った。
 画面に表示された名前のアイコンに、心臓がドキリと跳ねた。
 奨励会員同士で交換していたメッセージアプリの機能で、紅葉が電話をしてきたのだ。
 式部は画面に表示された通話ボタンを押した。
「もしもし」
「あ、式部さん? 今大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
「急で悪いんだけど、式部さんって、何が好き? 甘いもので」
「甘いものですか?」
 紅葉が電話のいきさつを説明するのを、式部は相槌を打ちながら聞いていた。
「……ってわけで、カッコ悪いけど、式部さんの好きなお菓子教えて下さい」
 式部の話し方を意識してなのか、電話口の声は妙に改まった口調だった。紅葉がお返しをきちんと考えていてくれたことが式部は嬉しかった。自身では気付いていなかったが、その頬はほのかに赤く染まっていた。
 式部は紅葉の問いに答えた。
「おまんじゅうが好きです」
「まんじゅう、そうなんだ。……そういえば前にもらったまんじゅう美味かった!」
 いきなり思い出したかのように、電話口の紅葉が叫んだ。びっくりして式部は言葉を返せなかった。携帯電話からは、なんだヒントあったんじゃん、という紅葉の独り言が聞こえてきた。
「あの……?」
「あーごめんこっちの話。前もらったまんじゅう、仏壇から下ろして母ちゃんと食べたんだけどさ……」
 紅葉の話では、
「あら! これ美味しいわ。そんなに甘ったるくなくて、すごく上品な味」
「ホント? あっマジ美味い」
「いいもの貰ったね。……桜も喜ぶわ」
 二人でそんなやり取りをしながら美味しく頂いたのだという。式部は照れくさくて、胸がくすぐったくなった。
「あれって式部さんの好きなまんじゅう?」
「はい。甘井屋のおまんじゅう食べたいです」
 戸惑ったような声が返ってきた。
「『あまいや』って……?」
「和菓子屋さんです」
「あー、和菓子屋ね。じゃあ十四日にそこ行こう」
「はい」
 放課後、駅で待ち合わせてその店に行くことにした。式部は今からもう待ち遠しかった。

 その老舗は、賑やかな通りから一本奥に入ったところにある。赤い布が敷かれた長い腰かけや二席ほどの小上りがあって、その場で味わうこともできる店だった。紅葉はこの店の静かな佇まいに、少し戸惑っているようだった。いつもよりも声を低くして式部に尋ねた。
「式部さんが好きなまんじゅうってこれ?」
 曇り一つないガラスケースの中に、箱入りのものとバラ売りのものが整列していた。
「はい」
「何個入りにする? 式部さん一気に十個とか食べないよね……」
 流石に無理です、と即答しようと思ったが、式部は思い立ってこう尋ねてみた。
「どうせなのでここで食べていきませんか?」
「えっ」
 紅葉はちょっと戸惑ったように言葉を切った。それから店内の飲食スペースにちらりと目をやった。式部はじっと黙っていた。
「いいよ。食べてこう」
 紅葉は店内で食べていくセットを注文した。それだけでは悪いからと、お土産に箱入りのまんじゅうも一緒に購入してくれた。
 小上りの席に正座で待っていると、ほどなく注文したまんじゅうとほうじ茶のセットが来た。黒の器に白い皮と茶色い皮のまんじゅうが二つ並んでいる。白の方がつぶあんで、茶色い方にはこしあんが入っているのを式部は知っていた。
「い、いただきます」
 紅葉はおずおずと器に手を伸ばそうとしている。まんじゅうの側に付いている菓子切を使うべきかどうか迷っているようだった。式部は先に自分の皿へ手を伸ばした。
「手で食べましょう」
「あ! うん」
 白いまんじゅうを一口かじると、中からつぶあんが現れる。紅葉もホッとしたようにまんじゅうを食べた。
「やっぱりここのおまんじゅう、美味しいです」
「それならよかった。式部さんって何か、この店慣れてるよね」
「お爺ちゃんのお使いで時々来るんです」
「お爺ちゃん!? 春宮先生の事お爺ちゃんって呼んでんの!?」
「……ええ」
 面食らう紅葉の反応に、式部は急に気恥ずかしくなって説明した。
「正式に弟子になったし奨励会にも入ったので、『師匠』と呼ぶようにしたんですが……」
 その時、春宮は手にしていた棋譜を落とした。大げさに膝から崩れ落ち、叫んだ。
「もう『お爺ちゃん』とは呼んでくれないのか!! 我が孫よ!!」
 式部が小さい頃、『おじいちゃん』とたどたどしく呼ぶ姿がどれだけ可愛かったか、春宮はショックを受けながら切々と思い出を語った。いつもながらのオーバーリアクションで棋譜の山が崩れ、式部は仕方なくそれを元に積み上げた。
「と嘆かれたので」
「あー……言いそう」
「なので将棋以外の時は『お爺ちゃん』です……」
 式部は照れくさくなって目を伏せた。考えてみれば、『祖父』と言えばよかったのだが、おまんじゅうを食べてつい気が緩んでしまっていた。確かに祖父からすれば、孫はいつまでも孫なのだろう。それは多分、プロになっても。苗字は違うが、式部が『春宮九段の孫』である事実は変えられない。
 祖父は幼い頃から積極的に将棋を教えてくれた。式部自身は嫌々だったが、今はそれが少々暑苦しい愛情表現だったと分かる。将棋をしていて本当に良かったと心から思えるからだ。
 でもそろそろ、『かわいいだけの孫』からは卒業したい。式部は近頃そう考えるようになっていた。
 それは、やはり目の前にいる紅葉の影響でもある。『伝説の弟』であることから目を背けず、この道を進んでいく彼と共に歩んでいきたい。そう願うからだ。
「に、してもやっぱ美味いよねこれ」
 まんじゅうをかじりながら、紅葉は照れている式部をなだめるように尋ねた。
「春宮先生もよく食べたりするの?」
「そうですね。門下生の集まりでおやつに食べたりします」
 紅葉は手を止めてわずかに目を伏せた。
「兄貴も食べたりしたのかな」
 その問いにハッとなって、式部は眼鏡の向こう側の瞳を見つめた。しばしの沈黙の後、式部が答えた。
「……ええ、きっと」
「そっか」
 紅葉は笑顔を見せた。くしゃっと笑った表情が少しだけ泣いているようにも見えた。
 そして紅葉は一気に残りのまんじゅうを食べてしまった。少し遅れて式部も食べ終わって手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「いえどうも。俺も美味かったし、よかった。これからはまんじゅうだな」
「え?」
 確認するように呟いた紅葉の言葉を思わず聞き返した。それは、来年もチョコレートを渡していいという事なのだろうか。
 紅葉も言ってしまった事の意味に気付いたのか焦りだした。
「いや、来年もって催促してるみたいじゃん! そういう意味じゃなくて、そりゃチョコは欲しいけど! 式部さんの無理のない範囲で、来年もよろしくお願いします、みたいな……?」
 言葉をまくしたてる紅葉に、式部は表情を変えないようにして答えるのが精一杯だった。
「来年も、……考えておきます」
「うん」
 紅葉も照れくさそうにうなずいた。言葉ではそう言ったけれど、来年も、その先も共に進んでいたい。また紅葉にチョコレートを渡したいと式部は思った。

 二人は小上がりを出て店員にごちそうさまでしたと声をかけた。ありがとうございました、とよく通った声が返ってくる。式部はあることを思い出し付け加えた。
「ちなみに出来たてはもっと美味しいですよ」
 店内の片隅に、まんじゅうは出来たてもお召し上がり頂けますと、小さく貼ってあった。
「マジ? じゃあ今度来よう!」
 すぐに返した紅葉の言葉を、式部は長い沈黙で受け止めた。黙り込んでしまった式部に、紅葉がいぶかしむような視線を向ける。
「………………ええ」
 紅葉の表情が『何で今溜めたんだ?』と語っている。でも言葉には出さず、疑問を残したままの顔でうなずいた。式部はそんな紅葉を後目に、先に店を出た。
 式部の答えはこうだ。今度来ようの後に『みんなで』と付け足されそうだったから、黙っていた。
 でも、紅葉は何も付け加えなかった。
――これって? 期待してもいい?
 紅葉に背を向けたまま、式部の胸は高鳴っていた。